こんにちは、ワサガシです。
今回ははなわさんとナイツ・塙宣之(はなわ のぶゆき)さんが踊るさんま御殿に出演されるので注目です。
塙宣之さんははなわさんの弟でナイツの芸人です(ボケ担当)
番組内では塙宣之さんが「俺は千葉出身だ!」と訴えてから、
はなわさんの出身地詐欺疑惑が浮上していました。
この話って少しおかしいですよね。
つまり兄のはなわさんが佐賀で生まれた後に、
千葉に引っ越して、弟の塙宣之さんが生まれたということになりますが、
家族は現在、佐賀に住んでいるようです。
これだと佐賀 => 千葉 => 佐賀と引っ越したことになって、
理由も気になるので、はなわさんが佐賀県の歌を作曲した理由と一緒に調べてみました。
はなわのプロフィール
名前 | はなわ(ハナワ) |
情報 | 1976年7月20日 かに座 O型 |
出身 | 佐賀出身 |
身長・体重 | 175cm 77kg |
好きな色 | 赤 |
家族 | 父 母 兄弟 妻 長男 次男 三男 |
デビューのきっかけ | お笑いの専門学校でスカウトされた |
芸歴 | 【テレビ】有吉ゼミ ドデスカ!ドようびデス。 はなわのシャカリキ! ものまねグランプリ さんまのSUPERからくりTV 【ラジオ】あなたの夢は何ですか? FAV FOUR 【CDシングル】埼玉県のうた お義父さん 【CDアルバム】カラアゲ 【WEB】はなわチャンネル |
はなわの弟のナイツ・塙宣之の出身は千葉?兄はなわの佐賀出身は嘘?
まず兄のはなわさんですが、出身は埼玉県だそうです。
埼玉県の春日部市で生まれたみたいですね。
その後、2歳の頃に千葉県の我孫子市へ引っ越し。
ナイツ・塙宣之さんはこの時に出生していますので千葉出身です。
そして、はなわさんが小学校5年生のころに佐賀県の佐賀市へ移住されたようです。
はなわさんの高校は佐賀県立佐賀東高校で、卒業後は東京アナウンス学院お笑いタレント科(2年制の専門学校)に進学しています。
埼玉県では生まれてから2歳まで居たようですが、
赤ちゃんの自我が出てくるのは1、2歳ごろなのもあり
埼玉県出身って意識がなかったのかもしれません。
千葉県については2歳から11歳まで9年間住んでいて、
その後、11歳から高校卒業の18歳まで7年間は佐賀県に住んでいましたようです。
これで千葉県出身ならまだわかりますが、
佐賀県出身はちょっとおかしいですね。
はなわが佐賀県の歌を作曲した理由は?
高校生時代は「バンド芸人」と自称し、笑いを取り入れたMCなど行っていたようです。
お笑いタレント科の専門学校を卒業後、様々な活動の末に2003年5月21日に発売されたシングルCD『佐賀県』が約25万枚売上のヒット作品となり、オリコン最高5位を記録。
同年の『第54回NHK紅白歌合戦』にも初出場しました。
そんな、はなわさんの代名詞とも言われる曲『佐賀県』はどうして作曲することになったのでしょうか?
高校生時代のバンド芸人の時に実は作曲していた?
高校生のときは「バンド芸人」として活動していたようなので、
その時に実はある程度作曲していたのでは?ということです。
はなわさんは元々は関東に住んでいて、佐賀に引っ越してからいきなり環境がガラッと変わったと話しています。
そして弟の塙宣之さんとは、「佐賀に引っ越さなければ芸人になることはなかった」と話しているそうです。
なので、佐賀に滞在しているときにはある程度、バンド芸人として活動していくところまでは視野に入れていて、曲『佐賀県』を作詞・作曲し始めていたのかもしれません。
『佐賀県』の歌詞についても、高校のころに作詞したのでは?というところがいくつも見つけられます。
例えば歌詞の冒頭の部分ですが、
今日も登下校をする子供達は歩きなのにヘルメット
曲『佐賀県』の歌詞
車なんてめったに通らないのに蛍光テープをつけたヘルメット
クラスの半分以上が同じ床屋そして残りの半分はお母さん
という所もリアルタイムで佐賀県に居て、
小学生が登下校する通学路を通る環境、
また高校に通っていた時だからこそ思いついた歌詞だと言えます。
テツandトモがブレイクしたことを知ってバンド芸人として挑戦した
テツandトモと言えば、「なんでだろう〜」でお馴染みの曲で有名です。
赤・青の揃いのジャージを着てトモさんがギターを弾き、テツさんがおかしな踊りをして「なんでだろう〜」と連呼しながら日常の何気ない疑問について繰り広げる漫談です。
これが流行語大賞となるほどの大ヒットをしたのは、2003年1月に『こちら葛飾区亀有公園前派出所』とタイアップしたエンディングテーマ「テツandトモのなんでだろう〜両さんバージョン〜」がきっかけでした。
はなわさんはその後、4,5ヶ月後の2003年5月21日に曲『佐賀県』をリリースしています。
テツandトモがブレイクしたその頃、はなわさんは松井秀喜のモノマネで少し有名になってきた時期でした。
おそらくですが、同じギターを使った芸人が有名となり「このままじゃないけない」と自分の持ち曲のリリースを急いだのではないかと思います。
そして作詞・作曲はもう既に高校生の頃から温めていたので、少し手を加えて4ヶ月後のリリースに間に合わせることができたということですね。
おそらく、いつかはリリースしたいと考えていたと思いますが、タイミングをうかがっていたのかもしれません。
余談ですが、波田陽区(はたようく)もギター侍として2004年にエンタの神様でブレイクしました。
ここらへんからバンド芸人が増えていったのでしょうね。
はなわのまとめ
- はなわの出身地は埼玉県だった
- はなわの弟、塙宣之の出身地は千葉県
- はなわは埼玉県、千葉県、その後に佐賀県へ引っ越した
- はなわの作詞作曲した曲「佐賀県」は高校生時代から作り始められていた
- はなわが「佐賀県」をリリースしたのはテツandトモのブレイクに触発されたから
はなわさんの出身地は間違いなく、埼玉県ですが
所属している『株式会社ケイダッシュステージ』芸能事務所では、
出身地 佐賀県と意地でも変えない姿勢がはなわさんらしいなと思いました。
というか、これは事務所も知っていてやってますね。
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